小説「項羽と劉邦」執筆日記

kindleストアにて毎月15日に連載している「項羽と劉邦シリーズ」に関するブログ。 執筆日記や、登場人物のこと、中国哲学について書いていきます。

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韓信

変に自分の主観で物事を判断するのをやめようとするのではなく、「自分も含めて人は自分の主観で物事を判断する」という前提のもとで物事を見た方が、差別や偏見を防げます。
『人は自分の主観を通して他人を見るものだから』の画像

見ようと思えば見られる情報も見ずに、ただ想像だけでアドバイスをしてくる方がよっぽど傲慢なんです。さらに私に対して「もっと謙虚になれ。謙虚にならないと成功しないぞ」と言ってくるのは、もはやモラハラとも言える行為でしょう。
『本当の謙虚さ』の画像

なんだかんだいって韓信は周囲から偏見の目で見られていたと思います。
『嫉妬を超えた嫉妬』の画像

自ら偏見と戦わなければならない道を選んでおいて、いざ偏見の目で見られて腹をたてるのは事前の考えが甘すぎです。職業や経歴に対するイメージを打ち破ることにはロマンがあるけれど、同時に難しいことでもあります。
『経歴に対するイメージを打ち破ることへのロマンと難しさ』の画像

個人的には死刑制度撤廃派ですし、過去の経歴はいいものも悪いものも変にフィルターとして使わない方がいいとは思っている私ですが、それでも経歴による偏見というのはついてまわるもの。
『どこまでもついてまわる経歴』の画像

部下に与える情報をぐっと絞った方が、意図した通りに部下を動かすことができるのではないか……ということを韓信を見ていると感じます。
『最低限の情報を与えれば人は動く』の画像

陳勝呉広の乱から一気に世間では「打倒秦」の風潮が高まり、その中でも楚は率先して秦に向けて兵を発し、ついに秦を滅ぼした!……みたいな流れで司馬遷の『史記』には書かれているけれど。「打倒秦」って、実は結構楚の内輪だけの話だったんじゃないか……と、最近思い始め
『実は結構内輪だけの話だった』の画像

隠れ尊大は醜い。清々しいくらい吹っ切れた尊大さは逆に出世を引き寄せる。
『隠れ尊大の醜さ』の画像

初対面の相手に対して韓信のような尊大な態度で振る舞うって結構大事だと思います。
『いっそ清々しい尊大さ』の画像

韓信の大将軍任命は兵士たちにとって「我が軍に天才がやってきた!」以上の意味があったのだと思っています。
『韓信への期待値』の画像

私にとって韓信は「3歳の時に教えてもないのに突然ピアノを弾き始めた神童」みたいな天才です。
『学年に1人いる天才・韓信』の画像

淮陰侯として故郷に帰った時、彼はどんな気持ちだったのか……と想像してしまいます。
『故郷での屈辱』の画像

韓信は天才だったのだと思うけど、張良は凡人だったのだと思います。張良は完全に大器晩成型です。
『「天才韓信」と「凡人張良」』の画像

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